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東京地方裁判所 平成2年(刑わ)2101号 判決 1993年5月31日

主文

一  被告人を禁錮一年二か月に処する。

二  この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

三  訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(犯罪事実)

被告人は、東京都墨田区<番地略>所在の材木問屋株式会社友定商店の従業員であって、フォークリフトの運転並びにこれを用いての材木の運搬及びその荷役などを業務とする者であるところ、平成元年一〇月一六日午前一〇時過ぎころ、同商店前の道路(歩車道の区別のない道路で、幅員は約7.8メートル)において、同商店のフォークリフト(標識番号墨田区わ一一四三号、鋼鉄製フォークの長さも含めた車長約3.5メートル、車幅約1.5メートル、車高約2.06メートル)を、その前部に装着されている鋼鉄製フォーク(二本爪のもので、各爪とも、長さは約1.1メートル、幅は約一三センチメートル、厚さは基部で約四センチメートル、先端部で約一センチメートル)上に長さ約3.65メートル、幅約7.5センチメートル、厚さ約一センチメートルの杉の小幅板一二枚を一束とする材木束七〇束を一四列五段に積載して、運転し、同フォークリフトの後端から約1.4メートルの部分を同道路東側端に沿う同商店の車庫内に納め、先端から約2.1メートルまでの部分を道路に残して、道路に対しほぼ直角の向きで、同フォークリフトを駐車させ、路面から約1.15メートルの高さに固定した右鋼鉄製フォーク上の右材木束を一束位ずつ手で取り降ろして右車庫隣(北側)の倉庫の軒下に立て掛ける作業を開始し、その後しばらくして右材木束を全部右倉庫軒下に立て掛け終えたのであるが、その際、材木束が全部取り降ろされて剥き出しになった右鋼鉄製フォークが約1.15メートルの高さで道路中央に向けて突き出しており、右道路を通行する車両の運転手が右鋼鉄製フォークの存在に気付かずに衝突するという事故の発生する危険が生じていたのであるから、直ちに同フォークリフトをその場から移動させて、右鋼鉄製フォークにより通行車両の安全走行が妨げられることのないようにし、もって、このような事故の発生を防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、右措置を講じることなく、漫然と右場所に右状態の同フォークリフトを駐車させたままにしていた過失により、同日午前一〇時四五分ころ、折から原動機付自転車を運転して右道路を京葉道路方面(北側)から新大橋通り方面(南側)に向け、剥き出しの右鋼鉄製フォークの存在に気付かないまま時速四〇キロメートル位で進行してきた上田泰夫(当時一八歳)の前胸部に右鋼鉄製フォーク右側先端付近を激突させて、同人を同車もろとも路上に転倒させ、よって、同人に胸腔内損傷の傷害を負わせ、同日午前一一時一二分ころ、同区江東橋四丁目二三番一五号所在の都立墨東病院において、同人を右傷害による心臓破裂により死亡させた。

(証拠)<省略>

(法令の適用)

判示所為

(行為時)平成三年法律第三一号による改正前の刑法二一一条前段、同改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号

(裁判時)右改正後の刑法二一一条前段

(刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑による。)

刑種の選択 禁錮刑選択

刑の執行猶予 刑法二五条一項

訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、本件公訴は、憲法三一条、三七条一項、刑事訴訟法一条に違反して提起されたものとして棄却を免れず、そうでないとしても、被告人は、当時、本件事故発生を予見できた可能性も、右事故発生を回避できた可能性もなかったことから過失がなく、無罪である旨主張するので、以下検討を加える。

一  公訴棄却の主張について

弁護人は、本件捜査は、捜査機関が早期から確認把握していた参考人の取り調べを職務怠慢により長期間放置した末、逮捕・勾留の要件を欠くにもかかわらず被告人から自白をとることを目的として身柄の拘束をして自白をなさしめ、さらに、略式手続で罰金処分にするとの担当検察官の言を信じた被告人及び弁護人のそれ以降の防御活動を封じた上でなされたものであって、右捜査に基づく本件公訴提起は、訴追裁量権の濫用以外のなにものでもなく、憲法三一条、三七条一項、刑事訴訟法一条違反として、直ちに棄却されなければならない旨主張する。しかしながら、当裁判所は右主張は採用できないと判断した。その理由は次に述べるとおりである。

1  本件の捜査経緯

<証拠省略>を総合すると、捜査の経緯として、次のような事実が認定できる。

(一) 本件事故は、平成元年一〇月一六日午前一〇時四五分ころ、東京都墨田区立川四丁目一四番二号所在の材木問屋株式会社友定商店(以下、「友定商店」という。)前路上で発生したものであるところ、警視庁本所警察署の菊川二丁目派出所に勤務していた高田周治巡査部長(以下、「高田警察官」という。)は、同日午前一〇時四八分ころに一一〇番通報を受信し、同日午前一一時過ぎころ、二五〇ないし三〇〇メートル程度離れた現場に自転車で急行したところ、既に救急車が到着して本件事故の被害者の救護を行っていた。高田警察官は、現場の保存措置を講じるとともに、被告人や、事件現場にいた、友定商店向かいの印刷業者株式会社マルサ紙工(以下、「マルサ」という。)の工場長であった鈴木正志(以下、「鈴木」という。)から事情を聴くなどしていたところ、まもなく、本所警察署から交通捜査係の澤田警部や重田清海巡査部長(以下、「重田警察官」という。)らが到着した。

重田警察官らは、被害者が現場から救急隊員により搬出された直後の同日午前一一時一〇分ころから、被告人の立会いのもと、現場の実況見分を実施し、現場付近の道路状況、事故を起こした友定商店の本件フォークリフトの位置・形状・被害者の運転していた原動機付自転車の状況、事故発生時の被告人の位置、事故発生直後の被害者の位置等を見分し、写真を撮影するとともに、添付図面を作成するための原図を作った。

被告人は、右実況見分の際、自分は本件フォークリフトの鋼鉄製フォークに「荷役中」と白抜きで書かれた赤布(<押収番号略>)を吊るして取り付けていたもので、本件事故は、被害者がこれに気付かずに突っ込んできたために発生したものであるとの説明を重田警察官らになした。なお、右赤布は、高田警察官が臨場した際、既に本件フォークリフトの右前輪近くの路上にあったのであるが、これは二で詳述するとおり、実は本件事故発生後、高田警察官臨場前に被告人が友定商店内から持ち出してきて路上に置いたものであり、被告人が重田警察官らに対してなした説明は、虚偽であったわけである。

ところで、マルサの従業員である和田亘(以下、「和田」という。)は、事故発生の時刻ころ、事故発生地点から約13.5メートル離れた地点でマルサのフォークリフトに乗っていて本件事故の模様を目撃していたが、同人が、事故を目撃していた旨の情報は、その日のうちに警察に伝わっている。また、マルサへの出入り業者で、事故当時小型貨物自動車に印刷物を積載して届けに来、マルサのフォークリフトを借りて右印刷物を運搬しようとしていた中村紙工の中村勉(以下、「中村」という。)は、事故発生時、事故発生地点のすぐ近くにいたが、同人は、警察官臨場後、警察官にその氏名・住所などを告げてからその場を立ち去っており、同人の存在も警察は捜査当初から把握していた。

(二) 本所警察署の二瓶譲治巡査部長は、当日、被告人を任意で取り調べたが、被告人は、その際、自分の不注意で事故を起こして申し訳ないなどと述べる一方で、右鋼鉄製フォークには赤布を取り付けていた、また、材木束を立て掛け終わった直後これとほぼ同時に事故が発生した旨の供述もしていた。

重田警察官らは、同年一一月一三日、和田の立会いを得て実況見分を実施し、同人が事故を目撃した位置などを見分した上、同月二一日、同人の取り調べをなし、さらに、同月二八日、被告人を任意で取り調べたが、被告人は、その際も、右鋼鉄製フォークに赤布を取り付けていた、材木束を立て掛け終わった直後これとほぼ同時に事故が発生したとの供述を維持した。この二八日の取り調べの途中において、重田警察官は、被告人から最終処分に関する質問がなされたので、「駐車車両の後ろに自爆して罰金になったのはあるらしいが、あんたの場合は分からない。」旨答えたことがあった。

重田警察官は、この間、友定商店の経営者である毛塚定治や専務の毛塚幹也を取り調べたりもした。

その後、同年一二月二〇日、警視庁交通部交通捜査課の藤岡弘美警部らが、現場において、本件フォークリフトの鋼鉄製フォークの視認性などに関する資料を得るために、走行実験などを行うとともに、現場の状況や本件フォークリフトの形状などを正確に把握するため、ステレオカメラにより写真撮影をした。

一方、被告人は、同年一〇月二三日、長野国助法律事務所を訪れ、同事務所の大内猛彦弁護士(以下、「大内弁護人」という。)に相談をし、同年一二月二〇日、同弁護人に署名捺印済みの弁護人選任届を渡し、同弁護人とともに右走行実験に立ち会った。大内弁護人は、既にこのころまでに、マルサの従業員の中に本件事故の目撃者がいるとの情報を被告人らから得ていたものの、かねてよりマルサと友定商店の仲が険悪なことから、協力が得られないものと判断して、当時もそれ以降もこれに接触することは全く試みなかった。そして、本件の事実調査としては、被告人や友定商店の関係者らからの事情聴取をなしたに止まった。

(三) 本件は、事故態様が特殊であったことから、警視庁本部及び所轄署である本所警察署では、事件送致前に、東京地方検察庁交通部の慶徳榮喜検察官(以下、「慶徳検察官」という。)に事前の相談を行い、その上で、平成二年一月一九日、同検察庁に本件を送致した。本件の主任検察官となった慶徳検察官は、送致記録を検討した上、本所警察署を介して、被告人を同年二月一六日午前一〇時に任意で取り調べるために同検察官の勤務する東京地方検察庁第二庁舎に呼び出したが、被告人は、右日時に、大内弁護人を同行して出頭した。大内弁護人は、予め被告人と打ち合わせの上、検察官に被告人の無過失を承認させて本件を不起訴に持ち込めば最善であるが、それがかなわなければ罰金で早期に事件解決を図りたいとの弁護方針を立て、右方針に基づく活動として、慶徳検察官に会って、弁護人としての意見、希望を伝えよう、また、同検察官の処理方針を探ろうとの考えから、被告人に同行したものである。そして、大内弁護人は、同検察官と面談の上、被告人の無過失を主張したりしたが、その際のやりとりの中で、同検察官から、被告人の過失は否定できず、不起訴にはできない、過失を争うのであれば略式手続による罰金処分はできない、本件について弁護人に意見があるのならそれを書面にして欲しいなどと言われたことから、本件を不起訴に持ち込むのは難しいにしても、略式手続による罰金処理に持ち込むことは可能ではないかとの期待感を抱いた。

慶徳検察官は、右面談に引き続いて被告人を取り調べたが、被告人は、右取り調べにおいても、自己に不注意のあったことは最終的に認めたものの、赤布を右鋼鉄製フォークに取り付けていたなどと従前と同旨の弁解をした。

その後、大内弁護人は、同年二月二六日ころ、慶徳検察官のもとに意見書を持参し、できれば罰金にしてもらいたい旨要望した。しかし、右意見書は、第一次的には、被告人の過失を否定して不起訴処分を求める内容のものであったことから、慶徳検察官から、罰金処理を求めながら無罪の主張をするのは相容れないなどとして、受領を拒否された。そこで、同弁護人は、その翌日ころ、被告人の過失は認めるが諸事情を勘案して罰金刑が相当である旨の同月二七日付け意見書を同庁検察官宛に郵送した。

慶徳検察官は、同年三月一四日、被告人を再度取り調べたが、被告人の供述は、前回と同旨であった。同検察官は、右取り調べの結果などに基づいて、赤布を本件フォークリフトの鋼鉄製フォークに取り付けていたとの被告人の弁解は直ちに否定できないが、赤布が取り付けられていたにしろ、右鋼鉄製フォークを最低降下位置に下げてから材木束の荷降ろし作業をなさなかった点において、被告人は過失責任を免れないと判断し、本件を略式手続により処理することで決裁を仰ぐとの主任検察官としての方針を決め、同日付けの被告人供述調書作成後に被告人から略式請書を徴した上、同日ころ、決裁に上げたが、当時の東京地方検察庁交通部の高村副部長から、事案の重大性に鑑み、第一に、東京地方検察庁公安部で捜査中の、友定商店の経営者である毛塚定治らを被疑者とする労働安全衛生法違反被疑事件との関連も踏まえること、第二に、本件フォークリフトの鋼鉄製フォークに赤布を付けていたとの被告人の弁解につき、関係者らをさらに取り調べて捜査を尽くすこと、第三に、示談の推移を見守ることなどの指摘がなされて、同月二二日ころ、決裁未了のまま記録が慶徳検察官に差し戻された。しかしながら、慶徳検察官は、そのころ、他の部署に配置換えとなったことから、後任の柏村検察官に本件を引き継いだ。

(四) ところで、柏村検察官は、当時、懸案とされていた他の重大事件などを担当していたこともあって、同年五月ころ、大内弁護人に示談の進展状況について電話で確かめるなどしたほかは、本件の捜査に実質的に携われない状況にあったことから、同年九月六日ころ、当時の東京地方検察庁交通部の副部長であった佐々木英雄検察官(以下、「佐々木副部長」という。)が本件を引き取ることとなった。その間、被告人及び弁護人は、本件の処分が告知されなかったことから、本件は不起訴処分になったかもしれないとの楽観的な考えを抱くに至った。

本件を引き取った佐々木副部長は、その後記録を検討し、その結果、事案の重大性から本件を公判請求相当と判断した。そこで、服部次男副検事(以下、「服部副検事」という。)とともに捜査にあたり、和田、毛塚定治、毛塚幹也らを検察官自ら取り調べ直し、新たに、中村については、本件事故の発生そのものを直接目撃したわけではないものの、事故発生前後の被告人の行動、本件フォークリフトの状況などを知っている者として、予め警察官に取り調べさせた上で検察官自らも取り調べ、さらに、鈴木、村中喜久子(友定商店を訪ねて来て、事故発生当時、同商店事務所内にいた銀行員)、茂木克介(被害者の勤務していた寿司店の経営者)らも検察官自らにおいて取り調べ、被告人に対する取り調べも検察官自らにおいて改めて行い、そのほか、被告人、和田、中村、鈴木、高田警察官の各立会いを得て実況見分を実施するなどして、必要な補充捜査を遂げた上、同年一一月二日、本件公訴を提起するに至ったが、その過失の内容は、材木束の取り降ろし作業を終えた時点において、本件フォークリフトの鋼鉄製フォークを最低降下位置まで下げ、かつ、同車を路側端に沿って駐車させるなどして右フォークによる危険の発生を防止すべき注意義務を懈怠し、本件フォークリフトをそのままの状態にしてその場を離れたというものであった。

(五) なお、佐々木副部長らは、右補充捜査により、和田から、本件フォークリフトのフォークは、事故二、三十分位前から空になっており、右以降事故まで本件フォークリフトの近くに被告人の姿は見ていない、事故当日本件フォークリフトのフォークに赤布が取り付けられているのを見た記憶はなく、取り付けられていなかったというほかない旨、中村から、同人が本件事故発生の一五分位前に小型貨物自動車でマルサの前に着いてすぐに、友定商店のフォークリフトのフォーク上から材木束はなくなった、赤布は被告人が事故後友定商店内から持ち出してきたもので、事故発生の時刻ころ、本件フォークリフトのフォークに付けられてはいなかった旨、鈴木から、友定商店のフォークリフトに作業中赤布が取り付けられているのを見たことがない旨の供述を得、被告人の従前の弁解が虚構であるとの心証を抱いていたが(これが正しかったことは二で述べるとおり。)、同年一〇月二四日、被告人を取り調べた際、被告人が従前と同旨の弁解を繰り返したことなどから、罪証隠滅のおそれありと認めて、被告人を逮捕した。被告人は、右逮捕に引き続き、同日、勾留された。

2  判断

捜査手続の違法が公訴提起を無効ならしめることも絶対ないとはいえないが、検察官の広範な訴追裁量権を考えれば、それが極限的な場合に限られるのはいうまでもない。したがって、仮に、弁護人主張事実がすべて認められたとしても、その程度で果して本件公訴提起の無効という結論を導けるかは既に大いに疑問というべきである。しかし、それはさておいて、前認定の捜査経緯を前提に証拠により本件捜査を詳細に点検しても、違法の点は全く発見できないから、本件公訴提起が無効でないことは明白である。以下、弁護人の主張に即してその挙げる問題点を順次検討してこの点を明らかにする。

弁護人は、(一)捜査機関が中村の取り調べを平成二年九月一五日に至って初めて行ったことを捉えて、早期から確認把握されていた目撃者の取り調べを長期間放置したと主張する。なるほど、同人は事故発生当時からその氏名など人定事項を警察が把握していた人物ではある。しかし、同人は本件事故の発生そのものを目撃した者ではなかったのであって、警察は、同人の取り調べは行わなかったけれども、事故発生当日被告人立会いのもとに実況見分を実施し、さらに平成元年のうちに、本件事故そのものの目撃者である和田の取り調べや同人を立会わせての実況見分もなし、本件の参考人として毛塚定治や毛塚幹也らを取り調べ、本件フォークリフトの鋼鉄製フォークの視認性などを確かめるために走行実験やステレオカメラによる写真撮影を了するなどの捜査は行っているのであって、本件送致前の捜査としては、一応十分なものをなしたと認められるのである。また、事件の送致を受けた主任検察官の慶徳検察官は、送致記録を検討し、被告人の取り調べを二回行ったものの、爾余の捜査は行わずに本件の決裁を上司に求めているが、これは同検察官が、当時収集されていた証拠関係のもとでは、被告人の弁解は排斥できないものの、右弁解の真否にかかわらず、材木束取り降ろし作業開始に当たって、フォークを最低降下位置まで下げなかった点で、被告人の過失は明らかであり、爾余の捜査をなさなくとも、処分は可能であると判断したことによるものであり、当時の証拠関係等も考えれば、同検察官の判断にも一定の合理性があったと認められる。これらの点に鑑みると、中村の取り調べをこのころまで行っていなかったことにつき、捜査機関の職務怠慢であるなどと非難できないことは明らかである。

また、弁護人は、(二)逮捕・勾留の要件を欠くにもかかわらず、自白獲得を目的として被告人の身柄拘束をなし自白をなさしめたと主張する。しかし、被告人が身柄拘束を受けた当時においては、被告人には相当の嫌疑があった上、被告人が事故直後赤布を路上に置いて前述のような説明をするという悪質な罪証隠滅工作を行い、しかも、その後、虚偽の弁解を頑強に維持して罪責の回避・軽減を図っていると証拠上十分判断できたのであるから、被告人の身柄を拘束しなければ、友定商店の従業員らと通謀するなどして罪証を湮滅するおそれもあったと認められる。被告人に当時逮捕・勾留の要件のあったことは、優に肯認できるから、弁護人の右主張は前提を欠いた失当のものというほかない。

さらに、弁護人は、(三)検察官は、略式手続による罰金処分を求めるとの担当検察官の言を信じた被告人及び弁護人のそれ以降の防御活動を封じて捜査を行い公訴提起をなしたと主張する。しかし、前記のとおり、罪証隠滅工作を行い、虚偽の弁解をして、罪責回避・軽減を図ろうとしていた被告人としては、略式請書を提出したとしても、その後に、それまでの捜査結果が疑問とされ、さらなる捜査の行われることの有り得べきことを当然覚悟すべきであったと考えられる。また、法律上、検察官において略式起訴しても最終的に略式手続によって罰金の処分をするかどうかを決めるのは裁判所であって、検察官に右の最終決定権限がないことは一応考慮の外に置くとして、本件においては、担当検察官が、被告人から略式請書を徴したことはあるが、本件を略式手続により罰金で処理する旨の約束を被告人や弁護人との間で交わしたことは全くないのである、なるほど、被告人及び弁護人において、慶徳検察官の右略式請書徴取以降、被告人が罰金処分になるであろうとの期待感を高め、さらに、柏村検察官が実質的な捜査に当たれなかった時期においては、不起訴処分になったかもしれないとの楽観的な考えも抱いたことは認められるものの、そうであるからといって、右に述べた点に照らせば、その後、佐々木副部長らにおいて、前認定のような捜査をして被告人の弁解の虚構性等を明らかにしたことにつき、これがもはややってはならない捜査をなしたことになるなどと非難できないことはいうまでもないところである。なお、慶徳検察官が被告人から略式請書を徴したことにより、被告人の防御権の行使が実質的に侵害されたという事実は、全証拠によってもこれを認めることができない。

以上のとおりであるから、弁護人の前記公訴棄却を求める主張は理由がない。

二  無過失の主張について

弁護人は、本件事故は被告人が最後の材木束を取り降ろし立て掛け終わった直後ほぼこれと同時に発生したものであって、本件フォークリフトを場所的に移動する暇はなかったのであるから、結果回避可能性がなく、また、当時の本件フォークリフトの駐車状況、現場付近の材木の積載状況、さらに被告人が材木束取り降ろし作業途中にフォークに赤布を取り付ける措置をとったことなどを考えると、本件事故発生の予見可能性もなかったと認められるから、被告人に過失はなく無罪である旨主張する。

1  事故発生当時の状況

前記の証拠欄掲記の関係証拠を総合すれば、事故発生当時の状況として、次のような事実が認められる。

(一) 本件事故の発生した現場は、東京都墨田区付近の新大橋通り方面(南側)と京葉道路方面(北側)をむすぶ幅員約7.8メートルの歩車道の区別のない道路であり、その中央には白色の実線により中央線が明瞭に標示されている。同道路を南側に行くと交差点(以下、「南交差点」ともいう。)があり、同道路の東には、側端に沿い、同交差点から北側に向かって、横断歩道に接した歩道(四ツ目通り方面(東側)に向かう歩道で、同歩道上には、「公園」とも称される緑地帯がある。以下「公園」という。)、友定商店の事務所(ただし、同事務所はガラス戸があるため道路上から中が見える状態にある。)、同商店の机などをおいてある土間、同商店の車庫(間口約3.1メートル、奥行約6.8メートル)、同商店の倉庫(この区画の道路に面した部分の軒下には材木を立て掛ける材木置場がある。)などが順次存在し、向かいの同道路西には、側端に沿い、同交差点から北側に向かって、人家、友定商店の倉庫、空き地、マルサの工場などが順次存在する。

(二) 被告人は、本件事故発生当日、秋田方面から友定商店に早朝届いた杉の小幅板の梱包(一梱包は、長さ約3.65メートル、幅約7.5センチメートル、厚さ約一センチメートルの板一二枚を一束として、これを一四列五段にして七〇束をまとめたもの。)が事務所の前やその向かい側等の道路上に降ろされていたことから、出社後、専務の毛塚幹也とともに、その運搬・整理の作業を始めた(なお、道路上にあった材木はこれだけでなく、公園付近の歩道上には何日か前に届いた材木の梱包が積み置かれていた。)。そして、午前九時三〇分過ぎころ、毛塚幹也が材木市場に買い付けに行ったことから、それ以降は、ひとりでその作業を継続したが、午前一〇時過ぎころ、本件フォークリフト(車長約3.5メートル、車幅約1.5メートル、車高約2.06メートル)を使って、一梱包をその鋼鉄製フォーク(二本爪のもので、各爪とも、長さ約1.1メートル、幅約一三センチメートル、厚さは基部で約四センチメートル、先端部で約一センチメートル。このフォークの爪は、当時二本とも塗料が剥がれ、錆が浮いたような状態で、濃茶色の色調をしていた。)上に載せて前記車庫のところまで運び、本件フォークリフトの後端から約1.4メートルまでの部分を車庫内に入れ(なお、当時、本件フォークリフトを置いていたところより奥には普通乗用車一台が格納されていた。)、先端から約2.1メートルまでの部分を道路に残して、道路に対しほぼ直角の向きで、同フォークリフトを駐車させ、鋼鉄製フォークの上の材木束を取り降ろしやすいようにフォークの爪を路面から約1.15メートルの高さに固定して道路に突き出した形にし、順次一束位ずつ取り降ろして車庫北隣の倉庫の軒下に立て掛ける作業に従事し、しばらくして、その作業を終了した(なお、右作業途中に被告人が赤布をフォークに取り付けたとの事実のないことは、後述するとおりである。)。

ところで、当時、車庫の南隣の土間の前の路上には、道路東側端から約1.5メートルの位置から東に向け約一メートル強の幅で、材木束二梱包が積み重ねて置かれていた(高さは、約1.4メートル、長さは、約3.7メートル)。そのため、本件フォークリフトの鋼鉄製フォーク上から右材木束が取り降ろされて同フォークが剥き出しになった場合、京葉道路方面から見ると(なお、右フォークは、京葉道路方面から進行してくる車両との関係では、同車両の進行すべき道路左側部分に存する。)、中空に浮いた右鋼鉄製フォークの線と濃茶色の色調が背後にある材木束の線と色調に重なって特に見にくい状態となっていた(もっとも、右鋼鉄製フォークの先端部から約六〇センチメートルの部分は、京葉道路方面から正対して見た場合には、右材木束と重なることはないが、それでもその色調・形状等からやはり見にくい状態にあった。)。ちなみに、右鋼鉄製フォークの視認性の程度を明らかにする目的で、本件事故後である平成元年一二月二〇日、この状態を現場において再現し、走行実験を実施したところ、右鋼鉄製フォークから約一二メートル京葉道路寄りに離れた地点においては、静止して意識的に見る限りは、その視認が可能であったものの、速度三〇ないし四〇キロメートルで走行する原動機付自転車から見ると、その視認性はいずれも悪く、近距離において初めて確認することができる程度で、極めて危険な状態であったことが明らかになっている。

(三) マルサの従業員の和田は、当日朝から、マルサのフォークリフトを運転し、マルサの工場で出来上がった刷本を南交差点を左折した四ツ目通り方面にあるマルサの倉庫に運ぶなどしていたものであるが、本件事故発生直前、マルサの前記工場から刷本をフォークに載せてバックしながら道路上に出て中央線を越え、フォークリフトの方向を約九〇度転換して新大橋通り方面に向きを変えた際、そのバックミラーで被害者が原動機付自転車を運転して後方の京葉道路方面(北側)から進行して来るのに気付き、その場で停車して(その停車位置は、本件フォークリフトから北側に約13.5メートルの距離にあった。)、被害者が和田のフォークリフトの運転席側(道路中央線寄り)を時速四〇キロメートル位で通過するのをやりすごした。和田のフォークリフト横を通過した被害者は、やや道路東端寄りに進路を修正した後、そのまま直進して行き、本件フォークリフトの鋼鉄製フォーク右爪の先端付近(衝突箇所の中心は先端から約二一センチメートル付近)にその前胸部を激突させ、その結果、被害車両もろとも投げ出され、衝突地点のやや右斜め前方の中央線付近に転倒した。和田は、前記フォークリフトに乗ったまま、右事故の発生を目撃した。

一方、熊谷印刷株式会社の下請けとして、中村紙工の商号で印刷加工、印刷物運搬の業務に従事し、マルサに出入りしている業者である中村は、当日午前一〇時三〇分ころ、小型貨物自動車(長さ約4.69メートル、幅約1.69メートル、高さ約1.97メートル)の荷台に印刷物を積載してマルサに届けに来、友定商店の前記車庫内に後部を入れて駐車していた本件フォークリフトのやや北側斜め前の道路西端付近に右小型貨物自動車を後部荷台がやや中央線寄りになる形で斜めに駐車させた。そして、同人は、マルサの工場内に入って工場長の鈴木と仕事の打合せなどをしばらくした後、右印刷物を運搬するため、マルサの工場前道路上に置かれてあったフォークリフトを借り、バックをしながら右小型貨物自動車の荷台の後部あたりまで運転し、そこからやや前進してフォークの上に右小型貨物自動車に積載してきた印刷物を載せ、一メートルくらい下がったが、その時、本件事故の衝撃音を耳にし、それとほぼ同時に自分が運転中のフォークリフトの右横付近の道路上に飛んできた被害者を目にした。そこで、同人は、直ちにフォークリフトから降りて被害者のところに行き、「痛い、痛い」と言って苦しんでいる被害者の体を押さえて動かないようにするなどして救護に当たっていたが、しばらくすると被害者は動かなくなった。

(四) 高田警察官が、一一〇番指令を受けて、本件現場に臨んだ経緯は、前記一1(一)において、認定したとおりであり、高田警察官が、現場に臨場した際には、赤布が本件フォークリフトの運転席側の右前輪付近の路上に落ちており、本件フォークリフトの鋼鉄製フォークも地面まで下がっている状態であった。

また、重田警察官が、当日実況見分を実施したところによると、本件フォークリフトの鋼鉄製フォークの先端付近の二本の爪の中間付近の下の路上に長さ一〇センチメートル余りの擦過痕があったものの、被害車両が急制動措置をとったことを窺わせるスリップ痕は全く存在しなかった。

(五) 被害者は、駆け付けた救急隊員の手で都立墨東病院に運ばれたが、同日午前一一時一二分ころ、胸腔内損傷による心臓破裂により死亡するに至った。被害者の外表には、前胸部において左右乳頭にわたり帯状の表皮剥離が顕著に見られ、被害者は、本件フォークリフトの鋼鉄製フォークにほぼ正対するかたちで体の真正面から激突したことが認められる。

2  判断

(一)  以上の認定事実を前提にすると、本件フォークリフトの鋼鉄製フォークは被告人がその上に載っていた材木束を取り降ろしたことにより剥き出しの状態となり、地上から約1.15メートルの高さに固定されたまま中空に維持され、被害者の進行してきた京葉道路方向(北側)から正対して見ると、その一部は背後に積み重ねられていた材木束の色調と線に重なって見えにくい状態で、また、その先端から約六〇センチメートルの部分は右材木束に重なってはいなかったものの、やはり見えにくい状態で、道路上に突き出していたことが認められ、これによれば、右の鋼鉄製フォークに通行車両が衝突するなどして死傷結果の生じる危険性が客観的に生じていたことは明らかである(なお、背後に材木束が積み置かれていたから、あるいは、本件フォークリフトの本体も一部道路に出ていたから、フォークのある付近を車両が通過するはずがないなどといえないことはもちろんである。)。そして、一般にフォークリフトの何も載せていないフォークを中空に浮かし、かつ、フォークが道路を横切るような形にして、フォークリフトを駐車させておくことが車両の通行に極めて危険であることは、フォークリフトの運転を業とする者であれば当然知っている初歩的知識であるといって差支えないから、このような者が本件フォークリフトの状況を見れば、瞬時にして(背後の材木束の色調・線とフォークのそれとが重なっているかどうかなどを子細に点検するまでもなく)、前記のような事故発生の危険を察知し得たであろうと考えられるのである。

本件事故発生につき、予見可能性がなかったなどとは到底いえず、これがなかったとする弁護人の主張は採用できない。

(二)  ところで、右のように本件事故発生の予見可能性があった以上、これを回避する措置を講じるべきは当然であり、本件におけるそのための措置としては、直ちに本件フォークリフトを移動させてフォークにより通行車両の安全走行に危険を与えている状態を解消することが考えられるが、このような措置を講じることが真に注意義務として被告人に課されていたといえるためには、右措置により、本件事故発生を回避することができたことが肯定されなければならない。

しかるところ、弁護人は、本件事故が発生したのは、被告人が本件フォークリフトの鋼鉄製フォークから最後の材木束を取り降ろして倉庫の軒下に立て掛け終わった直後のほぼこれと同時点であって、被告人には本件フォークリフトを移動する暇はなかったという被告人の供述を前提に、被告人に本件事故の発生を回避する可能性がなかっと主張している。

そこで、以下、被告人が材木束の取り降ろし作業を終えてから事故発生までの時間的間隔が客観的にどの程度であったのか、その関連で、被告人が本件事故発生直後にどこにいたのかなどの点につき、証拠に基づき検討することとする。

(1) 和田証言について

証人和田は、本件事故の発生状況を前記位置でマルサのフォークリフトに乗ったまま目撃していた者であるが、同証人は、本件事故発生直後、被告人が南交差点方向から駆けて来るのに気付いた、同証人が右のように気付いた際の被告人の位置は、本件フォークリフトの運転席からみて新大橋通り方面(南側)に一五メートル位離れたところであった、同証人は、道路上に転倒した被害者の状態などを見るために、自分のフォークリフトをゆっくりと前進させたところ、駆けて来た被告人が本件フォークリフトの側に寄って立ったままレバーを操作してその鋼鉄製フォークを地面に下げるのを見た、その直後、被告人は、友定商店の事務所の中に入って行って電話を掛けていたが、それが終わると、被告人は出て来て、被害者のもとには寄らずに再び南交差点の方に向かい、そのあたりで立っていた、同証人が本件事故発生前、マルサのフォークリフトを運転して四、五回、本件フォークリフトの前を行き来した際には、被告人は本件フォークリフト付近にはおらず、右交差点方向にある公園付近にいるのを見たことがあった、被告人が本件フォークリフトの鋼鉄製フォークの上が空の状態になってから本件フォークリフトの側を離れていた時間は、自分の右作業に要した時間などから推して、約二、三十分間あったと思うなどと証言する。

右証言は、和田証人が立会人となって本件事故発生後一か月足らずの平成元年一一月一三日に実況見分が行われて同証人の記憶の喚起がなされた後、警察で取り調べられ、さらに、翌平成二年一〇月と一一月の二回にわたって検察庁で取り調べを受け、その間の同年一〇月三一日には再度同証人が立会人となって実況見分が実施されるなどして記憶の保持がはかられた上で、なされたものであり、しかも、同証人は、被告人が本件フォークリフトの鋼鉄製フォークを下げた位置等記憶の減退した箇所については、正直にその旨述べるなどその記憶に従って、目撃状況を忠実に再現しようとの真摯な姿勢に徹して供述していることが認められ、その上、その証言内容をみても、具体的、自然であり、作為的な点は一切窺えないのであって、これらに照らし、右証言の信用性は高いものと考えられる。

弁護人は、和田証言は、本件事故を目撃した者としては、証言内容に迫真性がなく抽象的に過ぎ、また、本件事故を目撃しながら被害者の救護に急行するなどしなかった点において、その行動に不自然さが見られ、さらに、当時仕事に追われていた同証人が本件事故発生前の本件フォークリフトの状況について、明確に記憶しているのも不自然であるとして、同証言の信用性を争うが、同証言は、本件事故から一年七か月以上経ち、その間に事故状況の生々しい印象もある程度理性的に整理された上でなされたものであって、そのような証言としては、相応の臨場感、具体性を備えていると認められるし、また、同証人が倒れた被害者の状態などをみるために自分が運転していたフォークリフトを事故現場の方にゆっくり前進させたのは、新たな事故発生を恐れ周囲に注意してのことであったものと理解できるから、決して不自然といえないし、同証人が救急車の手配をしなかったこと、被害者を介護しなかったこと、まもなくその場を離れたことについては、同証人が、本件事故直後、被告人が事務所の中に入って電話を掛けた姿を見て救急車を手配したものと考えた、マルサの従業員らが被害者の回りに来ていろいろやっていた、その場にフォークリフトに乗って留まるのは二次災害を引き起こす危険性もあると感じたなどと述べていることを考えれば、これまた格別不自然な行動ということはできず、さちに、本件フォークリフトの鋼鉄製フォークが空のまま中空に維持されて道路上に突き出されていた状態は、危険な異常事態として認識され、同証人の当日の日常的な作業中においても記憶に残っていたとしてもなんら不自然とは考えられないところであるから、結局、弁護人の右主張は全て当を得ないということができる。

(2) 中村証言について

証人中村は、前記のとおり、小型貨物自動車で運搬してきた印刷物を降ろすために、マルサの工場前あたりに駐車させてあったフォークリフトを借り、右小型貨物自動車の後ろに着けるためにバックしながら右フォークリフトを運転して作業をしようとしていた際に事故発生を知った者であるが、同証人は、本件事故発生の一五分位前の当日午前一〇時三〇分ころ現場に小型貨物自動車で到着した、そのころは、本件フォークリフトの鋼鉄製フォークの上に、材木束が一、二個あって、被告人がそれを運んでいるところを見たような気がする、同証人がマルサのフォークリフトを借りてバックしながら運転していたときには、既に本件フォークリフトの鋼鉄製フォークの上から材木束がなくなっており、被告人もその場にはいなかった、本件事故の衝撃音を聞き、さらに、同証人が運転中のフォークリフトの運転席の右横道路上に被害者が倒れてきたのを見て、同証人は直ちにフォークリフトから降り、被害者のところに行って介護をしたが、その際、被告人が本件フォークリフトの鋼鉄製フォークを降ろすのを見た、その直後、被告人が友定商店の車庫の中に入って行き、また直ぐ出てきて、本件フォークリフトの運転席側の右前輪近くの道路上に赤布を置いたのを見たなどと証言する。

右証言も、経験した者でなければ述べ得ないような事実を明らかにしての供述であって具体性に富み、また、事故直後に現場に臨場した高田警察官の赤布発見状況などの客観的事実とも一致するものであって、その内容は大筋において信用しうるものと考えられる。しかしながら、右証言に関しては、中村証人が初めて捜査機関から取り調べを受けた時期が事故から約一一か月経過した後であって、その間、記憶を保持しうる機会が与えられていなかったことから、かなりの程度記憶が減退しているであろうことは容易に推測できるところであるので、個々の証言内容を吟味するにあたっては、その点を考慮する必要もあると考えられる。

(3) 両証言内容の異同点の検討と事実認定

そこで、本件事故発生前に被告人が本件フォークリフトの側を離れていたかどうか、また、離れていたとしてどの程度の時間離れていたのか、それとの関連で、被告人は本件事故発生当時にどこにいたのかという点について検討する。

和田及び中村証言を比較検討すると、和田証人は、本件フォークリフトの鋼鉄製フォークの上が空の状態のまま被告人が本件事故発生時まで本件フォークリフトの側を約二、三十分離れていたと証言するのに対し、中村証人は、同証人が約一五分前に小型貨物自動車を運転して現場に来た際には、まだ本件フォークリフトの鋼鉄製フォークの上には、一、二個の材木束が載っていて、被告人が取り降ろし作業に従事していたような気がすると証言する。そこで、この点に関し両証言が実質的に見て食い違っているといえるかどうかが、問題となるが、両証人とも、右の時間的間隔については、いずれも感覚的に証言しているものに過ぎず、明確な根拠をもって右時間を特定しているものでないことは、両証言それ自体から明らかであって、両証言は、その言葉どおりに理解すべきではなく、いずれも事故までの問の時間的間隔はかなり長いものであったという趣旨に理解すべきものである。そして、当裁判所の検証調書によって明らかなとおり、本件フォークリフトの鋼鉄製フォークの上から一束の材木束を取り降ろして隣接する倉庫の軒下に立て掛けるのは、せいぜい五、六秒程度の短時間で終了する作業であるのであるから、仮に、中村証人が小型貨物自動車で現場に到着して本件フォークリフトを目にした際、フォーク上が空になっておらず、極く少数の材木束が載っていて、被告人がまだ取り降ろし作業に従事していたのであったにしても、その直後には、右作業は完了し、フォーク上は空の状態になったものと考えられる。これらを勘案すると、結局、両証言間には、表面的にはともかく、実質的には矛盾が無いものというべきである。そして、これら実質的に矛盾のない右両証言によれば、被告人は、本件事故発生までの間、一、二分という短時間でなく、かなり長い時間本件フォークリフトの側を離れていたものであり、かつ、本件事故の発生直後右発生を知って、南交差点の方向からあわてて本件フォークリフトの方に駆けて来たものと優に認めることができる。

弁護人は、和田及び中村両証言間に矛盾点があるとし、(一)和田証言によれば、同人は本件事故発生前から被害者の姿をつぶさに追っていたということになるのに、倒れた被害者に直ちに駆け寄ったと証言している中村の存在について明確に証言できないのは不審である、(二)和田は、事故発生直後フォークリフトに乗って事故現場に近付いたと証言するが、被害者を介護していたという中村がこれに気付かなかったと証言していることからして、この事実の存在は疑わしい、(三)和田証人が証言するごとく、本件事故発生直後に被告人が南交差点方向から走って本件フォークリフトのところに来たのだとすると、被告人は被害者を介護していたという中村の前を通過したはずであるところ、中村が被告人のその姿を見ていない旨証言していることからして、そのような事実があったとは考えられないと主張する。しかしながら、(一)の点についていうと、和田証人は、本件事故発生直後中村がどこにいて何をしていたのはわからないが、マルサの従業員らが被害者の回りに来ていろいろやっていたのは記憶している旨証言しているところ、事故の目撃者であっても、事故後被害者を誰が介護したかというような周辺的事実について明確な記憶を残していないことは十分ありうるところと考えられるから、和田が右程度の記憶しかないことを根拠に、同人の目撃証言全体の信用性を疑うことはできず、(二)及び(三)の点についていうと、中村証言によると、同人は、事故の衝撃音と側に飛んできた被害者の姿に驚き、直ちに自分の操作していたフォークリフトから降車して苦しんでいる被害者のもとに行き、被害者が動かないようにしようとしながら必死に介護していたというのであって、当時、倒れた被害者の方に注意が集中し、周囲に十分な注意を払う精神的余裕はなかったとみられるから、本件事故発生直後、被告人が南交差点方向から走って来て中村の前を通過し、また、和田が京葉道路方面(北側)からフォークリフトに乗って近づいて来たという和田証言どおりの事実があったのに、中村が被告人及び和田のこの姿に気付かなかった、あるいは、十分注意を払えない状態での現認であったためにこの姿を見た記憶がその後減退、消失してしまったということも十分考えられるのであって、そうであれば弁護人が(二)、(三)で指摘の矛盾点も和田証言の信用性を格別毀損するものとはいえないのである。

したがって、弁護人の右主張は採用できない。

(なお、被告人が本件フォークリフトの鋼鉄製フォークを下げた後の被告人の行動に関しては、前記のとおり、和田及び中村証言間に食い違いが見られるが、この点に関する両証人の捜査段階からの供述の一貫性の違いや、その記憶保持の機会が与えられた時期・程度の違いなどを考慮すると、この点については、和田証言どおりの被告人の行動が認められるものというべきである。しかし、このことは、これまで検討した、中村証言中の和田証言に符号する部分の証言内容の信用性を損なうものではないと考えられる。)

(4) 被告人の供述の信用性の検討

被告人は、前記のとおり、本件事故が発生したのは、鋼鉄製フォークの上から最後の材木束を取り降ろし、倉庫の軒下に立て掛け終わった直後のこれとほぼ同時点であって、本件フォークリフトを移動する暇は全くなかった旨供述する。

しかしながら、右供述は、以下の理由から到底信用することができない。

第一に、被告人は、捜査段階から一貫して、本件フォークリフトの鋼鉄製フォークの右爪に赤布のひもを通し、右爪の先端から一〇センチメートルくらいのところに赤布を吊るしていたもので、被害者はこれに気付かずに右鋼鉄製フォークに突っ込んできて激突したものであると供述しているものであるが、被害者は、前記のとおり、被害車両に乗ったまま、ほぼその体を地面に垂直にして、道路にほぼ直角に突き出ていた鋼鉄製フォークに正対する形で、右鋼鉄製フォークの先端から約二一センチメートルの位置付近を中心にしてぶつかったと認められるのであって、その事故の態様からすると、鋼鉄製フォークに赤布が吊るしてあったとすれば右事故により赤布が被害者の転倒方向に落下することはあり得るにしても(ただし、その場合は、赤布のひもは切断されているであろう。しかし、本件の赤布のひもは切断されていない。)、本件事故後現場に臨場した高田警察官が現認したごとく、本件フォークリフトの運転席側の右前輪近くの路上に赤布が落下することはあり得ないところである。被告人の右供述は、赤布が落ちていた位置についての客観的な状況に矛盾しているものといわなければならない(このほか、右赤布は、丸まったような状態で路上にあったが、フォークに吊るしていたものが落下したのであれば、このようにはならないと考えられ、この点も、不審である。)。被告人は、捜査段階中途からこの矛盾に気付き、以後の捜査段階及び公判において、本件フォークリフトの鋼鉄製フォークの先の道路上に落ちていた赤布を倉庫の方に蹴飛ばし、さらに、フォークリフトの右前輪横に蹴飛ばしたかもしれない、倉庫のほうに蹴飛ばした赤布を手で拾ってフォークリフトの右前輪近くに移動させたかもしれないなどと供述してきたのであるが、その供述自体明確性を欠くばかりか、そのような行動をとった理由についても首肯しうる合理的な説明はなされておらず、また、赤布を蹴ったりした時期、その方向、手で拾って置いた場所などについて、看過しがたい供述変遷もあるのである。中村証人が、本件事故発生直後、被告人が赤布を本件フォークリフトの運転席側の右前輪近くの路上に置いたのを見た旨明確に供述し、また、和田証人も赤布を見た記憶がない旨供述していることも考え併せると、被告人のフォークに赤布を取り付けたとの供述は虚偽であって、罪責回避・軽減の意図からなされているものと認めることができる。そして、被告人が右のような重大な嘘をついていることは、被告人の供述全体の信用性を著しく低下させるものといわなければならない。

第二に、被告人の供述を捜査段階から公判段階まで通観すると、被告人が当日の朝から行っていた材木束の梱包の運搬・整理の順序、倉庫の軒下に材木束を立て掛ける作業の途中に本件フォークリフトの側を離れたことの有無、本件事故発生時に被告人がいたという位置、向き、本件事故発生後に本件フォークリフトの鋼鉄製フォークを下げた時期等、かなりの点に関して供述変更があり、しかも、右供述変更は、その合理的理由も全く明らかにせずに行われていることが認められる。この点も被告人の供述態度の不誠実性を示しているといえる。

これらに照らすと、和田証言及び中村証言と対立する、前記の、本件事故が発生したのは、フォーク上の最後の材木束を倉庫の軒下に立て掛け終わった直後のこれとほぼ同時点であって、本件フォークリフトを移動する暇は全くなかった旨の被告人の供述が、右両証言よりも信用できるなどとは到底考えられない。この供述もまた、赤布に関する供述同様罪責の回避・軽減の意図に出た虚偽の弁解というべきである。

(5)  以上によれば、本件事故発生前に、被告人は本件フォークリフトの鋼鉄製フォークの上が空になって以後その側を一、二分程度の短時間ではないかなりの時間離れていた事実が認定できるところ、他方、当裁判所の検証調書等によれば、被告人が鋼鉄製フォークを地上二、三十センチメートルの位置まで下げるなど移動させるに当たっての必要な措置を踏んだ上で本件フォークリフトを駐車させていた位置から移動させて前述した危険な状態を解消するためには(なお、本件フォークリフトを車庫北側に隣接する倉庫の軒下前の道路側端に車体がこれと平行になるように移動させれば、右状態は解消できたと認められる。)、一分もあればよかったと認められるから、被告人には本件フォークリフトを移動させて右危険な状態を解消できるだけの時間的余裕は優にあったと認めることができる。

したがって、弁護人のこの点の主張も採用できない。

3  結局、本件においては、被告人に、犯罪事実欄において認定した注意義務とこれを懈怠した過失は認められるものというべきであって、弁護人が被告人の無過失を主張するところは、信頼の原則の適用があるなどと主張するほかの部分も含め、すべて理由がなく採用できない。

(量刑の理由)

本件は、鋼鉄製フォークが中空に浮いた状態のフォークリフトを公道上に放置していたため、折から右フォークに気付かないままバイクで進行してきた被害者を右フォークに激突せしめて死亡させたという事案であって、その過失態様が重大であるのはもちろん、これにより招来させた結果も重大である。被害者は、当時一八歳の若年で、中学卒業と同時に寿司店に就職し、いつか独立して寿司店を持ちたいとの夢を持って、真面目に稼働してきたものである。この夢もかなえられぬまま、本件により、若くしてこの世を去らざるを得なかった被害者の無念さは察するに余りあり、また、その成長を楽しみにしていた被害者の母親の悲嘆の情にも同情を禁じえないものがある。また、被告人は、本件事故発生直後、友定商店内にあった赤布を取り出してきて、これを事故現場付近の路上に置き、事故時本件フォークリフトのフォークに右赤布を装着していた旨警察官に虚構の説明をして罪証湮滅行為に及び、その後も、一貫して右弁解を維持し、本件事故は被害者の一方的不注意によって起きたものであるなどという強弁を繰り返しているものであって、その無反省の態度は強い道義的非難に値するものといわなければならない。そして、被害者遺族に対する賠償問題も未だ民事裁判が継続中で解決を見ていない。以上に照らすと、被告人の刑責は重いというべきである。

しかしながら、本件フォークリフトが大型特殊車両であるにもかかわらず区役所に小型特殊車両として届けられ、強制保険も付されずに友定商店の日常業務に供されていたことや、友定商店では公道を材木置場、作業現場代わりに使うのが常態化していたことなどは、友定商店の安全管理への取組姿勢の欠如を示してるが、このような友定商店の安全に対する組織的無関心が本件事故惹起の遠因をなしていると認められ、このことを考えると、被告人に本件事故のすべての責任を帰せしめるのはいささか酷というべきである。また、本件事故は、被告人が当日朝から行っていた材木束の梱包の運搬・整理の作業が一段落して被告人が本件フォークリフトの側をしばらく離れた隙に起こったことで、被告人にとっては仕事中にいわば魔が差した結果であったとみることができる。その他、被告人には、交通違反により反則金を納付した以外には前科前歴はなく、また、家庭においては障害をもつ子供を妻と励まし合いながら養育してきた良き父親であり、被告人が実刑になると子供の養育に支障が生じるであろうこと、妻の供述等によれば、被告人は本件事故を起こしたことで思い悩んだ形跡も窺われることなどの事情も認められる。そこで、これら一切の事情を総合考慮し、被告人の刑責には重いものがあるものの、直ちに実刑をもって臨むのは相当ではないと認め、主文のとおり量刑することとした次第である。

(裁判長裁判官須田贒 裁判官伊藤真紀子 裁判官波床昌則は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官須田贒)

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